- 油井元太郎さんが雄勝に関わり続ける理由(炊き出し〜寺子屋の流れ)
- 新拠点「渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOOD(モリウミアス マリン&フード)」の構想(循環する建築/オープン予定)
- MORIUMIUSでの滞在プログラム(1泊2日〜1年の漁村留学)
残暑が肌にまとわりつく9月の朝。GOOT取材チームは東京駅6時32分発の東北新幹線「はやぶさ1号」に飛び乗りました。向かう先は、宮城県石巻市の雄勝町。そこに、子どもたちのための複合体験施設「MORIUMIUS(モリウミアス)」があります。
今回の取材が実現したのは、GOOTメンバーの一人がきっかけでした。彼女のお子さんが、まさにこのMORIUMIUSで漁村留学の真っ最中。「ぜひ現地を見てほしい」——その言葉に背中を押され、私たちは北へと走り出したのです。




石巻市震災遺構・大川小学校
石巻駅前でレンタカーを借り、最初に向かったのは石巻市震災遺構・大川小学校でした。

2011年3月11日、東日本大震災。北上川を遡上した津波が、この小さな学び舎を襲い、児童74名、教職員10名が犠牲となりました。その旧校舎が、震災遺構として保存・公開されたのは2021年7月18日のことです。
北上川河口から約3.7km。当時、ここまで津波は来ないと考えられていました。しかし現実には、高さ8.6mの津波が川と陸の両方から押し寄せたのです。この悲劇は、津波が河川を遡上する危険性、そして避難判断の難しさを、私たちに静かに、しかし強く突きつけています。
現在、校舎、プール、屋外運動場、野外ステージが遺構として残されており、柵の外側から見学することができます。入場は無料。敷地内には献花台が設けられています。


「キッザニア」から「道の奥(みちのく)」へ ── 油井元太郎さんが選んだ道
大川小学校を後にし、再び車を走らせ向かった先はMORIUMIUSの新たな拠点。建設中の「渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOOD」で、油井元太郎さんが迎えてくれました。

油井元太郎(ゆい・げんたろう)さん
MORIUMIUS代表・ラーニングディレクター/「キッザニア」立ち上げメンバー
「キッザニア」の立ち上げメンバーとして、子どもたちの職業体験の場を作ってきた油井さん。現在は、MORIUMIUSの代表・ラーニングディレクターとして、循環する暮らしを通じた学びの場を運営しています。2015年には日経ビジネス「次代を創る100人」に選出されました。
世界的なビジネスの最前線から、なぜ「道の奥(みちのく)」の土の上へ。一見すると対極にあるようなキャリアの裏側には、これからの時代を生き抜くために不可欠な「感性」と「つながり」への深い洞察がありました。
プロフィール:社員番号2番が歩んできた道

1975年、東京生まれ。小学校時代をカリフォルニアで過ごし、すっかりアメリカナイズされた少年は、大学進学を機に再び海を渡ります。音響工学を学び、ニューヨークで録音エンジニアとして働き始めました。
「ニューヨークで働きたい、住みたいという気持ちが強かったんです」
ビザの問題から音楽業界を離れ、日本テレビNY支社へ。そこで五年間、テレビの仕事に携わります。2001年、9.11を現地で経験。10年以上アメリカにいると、逆に日本のことが気になり始めたと言います。
2004年に帰国。何の仕事をしようかと探していたとき、「キッザニア」を日本に持ってこようとしている人物と出会いました。
「話を聞いているだけでワクワクして。このテーマパークが何年かしたら実現するのかなって」
社員番号2番として参画。2006年にキッザニア東京、2009年にキッザニア甲子園を開業させました。
ただ、道のりは平坦ではありませんでした。スポンサー集めに奔走する日々。断られ続けた油井さんに転機が訪れたのは、日経トレンディのヒット予測で「横綱」に選ばれたときでした。
「我々がいくらお願いしても、やっぱりメディアの後押しがあるとないとでは、企業さんの信頼度はこうも違うんだと」
そして2011年、東日本大震災。3店舗目の計画が足踏みしていたタイミングでした。
「自分は立ち上げるのが好きなんです。施設ができて、それを安定的に回していくのは、もっと得意な人がいる。3店舗目の開発が進んでいたら、多分東北には来なかったかもしれないですね」
雄勝町との関わり:炊き出しから始まった「不思議なご縁」
震災から2週間後。油井さんは東京から車で食材を積み、被災地へ向かいました。仙台出身の友人・立花さんが、家族を助けに行き、さらに避難所で炊き出しをしている——その話を聞いたのがきっかけでした。
「いまだにはっきり覚えてないんですけど、やはり9.11の影響が強くて。これだけの災害が起こって、何か自分でやれることはないのかと」
毎週末、仙台から海沿いの被災地へ。4月中旬、雄勝の方々が避難している避難所を訪れたことがきっかけで出会うことになった中学校の校長先生から、熱いプレッシャーを受けます。
「給食センターが被災して給食が届かない。生徒たちは全員家を失って、避難所暮らし。学校にいる時ぐらいは、ちゃんとしたあったかい料理を食べさせてあげたい、と」
立花さんの妹が仙台で料理人をしていたことから、彼女の自宅でお弁当を作り、届ける活動が始まりました。やがて校長先生の「放課後塾をやりたい」との希望を受け、オンライン授業のコーディネート、参考書の寄付へと広がっていきます。
2011年後半には、雄勝を離れた子どもたちを連れ戻して遊ぶ「週末寺子屋」がスタート。2012年には空き家を借り、漁師さんの船に乗せてもらってホタテを水揚げし、一緒に料理して食べる。今のMORIUMIUSの原型が、小さく動き始めていました。
「振り返るとつながっているんですけど、こういう場所をやるためにステップとして計画していた訳ではない、それが面白いですよね」
2002年に廃校となり、その後民間に渡っていた旧桑浜小学校。2013年、前所有者から「君たちのような、震災後に現地で頑張っている人たちだったらいいですよ」と譲り受けました。そして2015年、この小学校がMORIUMIUSとして生まれ変わります。
雄勝の特色:養殖が育む「穏やかな海」
「道の奥(みちのく)」という言葉が表すとおり、雄勝はアクセスが難しい場所です。入り組んだリアス式の地形。外から人が来ることに、良い意味で慣れていない土地。
油井さんがここに来て最も印象が変わったのは、「漁業」のイメージだったと言います。
「養殖漁業の町なので、基本的には農家さんのような意識で、自分たちは貝類を育てるという感覚なんです。入り江で波があまり入ってこないから、本当に湖のような穏やかな海で」
荒波に揉まれる漁師のイメージとは違う、静かに海と向き合う暮らし。その背景には、世界有数の豊かな漁場がありました。
「金華山沖は、世界でも3位に入るぐらいの魚種がいる漁場なんです。地元の方々は、昔はクジラを追いかけていたとか、イルカが普通にいたとか、よく話してくれます」
東京から新幹線で1時間半の宮城に、こんな海があったのか。油井さん自身、来て初めて知った豊かさでした。
油井元太郎さんの1日:畑とミーティングと、道の駅のカレー

油井さんの1日は、朝6時に始まります。
「午前中は畑で農作業。午後はオンラインミーティングやスタッフとの打ち合わせ。夜は企画書をひたすら書いています」
今は施設の工事中で、工事関係者との打ち合わせも多い日々。それでも、畑に出る時間は欠かしません。
お昼は決まって、道の駅 硯上の里 おがつへ。
「お寿司屋さんとそば屋さんしかなくて、だいたい自分はそば屋さんのカレーを食べています。昔ながらの学食のカレーみたいな、スキー場のカレーみたいな。一番食べてるのはカレーですね」
淡々と語る油井さんですが、海の幸の話になると、少しだけ熱がこもります。
「真冬のホタテは絶品ですし、アイナメはたぶん関東だとお寿司屋さんぐらいでしか食べられない。あと、アナゴ。東京のアナゴに比べたら太さが3倍ぐらいある、お化けみたいなやつ。タコもだしがすごいんで、ひき肉にしてパスタとか、キーマカレーにしたりします」
ホタテ、ホヤは養殖。アイナメ、アナゴ、タコは天然。育てるものと、獲るものが共存する海の恵みが、この土地にはあります。
こんなところがGOOTです:「線」を超えた先にある故郷
MORIUMIUSに来る人たちは、「観光」で来ているとは思っていない、と油井さんは言います。
「災害があった場所で、子どもたちの学びの場ができた。そこに自分の子供を連れて行きたい、関わりたい、貢献したいという方が圧倒的に多いと多いと思いますし、そう思ってもらえるように接しています」
ただし、コミットメントのレベルは試されます。
「たまに『ゆっくりしに来たのに、こんなに働かされるんだ』ってニコニコしながらおっしゃる方もいます」
それを楽しめるかどうか。地域に関わるとは、そういうことだと油井さんは考えています。
「ただ見るとか、何か食材とかを得るという立場ではなく、一緒にそれを作る、手伝うという視点がないと、地域側の線は超えられない。それをいとわない人は、地域にとってもすごくウェルカムなんです」
子どもが“恐れない”理由は、日々の経験値
火を起こし、ご飯を炊き、共同生活の中で葛藤を経験する。テクノロジーに頼らない時間の中で、子どもたちは何を得るのでしょうか。
「今年の夏、北海道で地震があって津波警報が出たとき、ここにいた子たちは全然恐れていなかった。『外に出られなくて残念だね』ぐらいで。日々、自分たちで火を起こしてご飯を作っている。その経験値があるかないかは大きいですよね」
都会でマンション暮らしをしていて、電気も水もガスも止まったとき。MORIUMIUSに来たことのある子は、来ていない子より動揺しないのではないか。「じゃあこの中でどうしようか」と考えられるのではないか。
目指すのは「親戚の家」
油井さんが目指すのは、この場所が「親戚の家」のような存在になることです。
「ここが親戚の家、自分の故郷のような位置づけになってくれることが、来る人にとっても、地域にとっても一番メリットがあるんじゃないかなと思っていて」
観光客ではなく、親戚。訪問ではなく、帰省。その関係性の先に、油井さんが思い描く未来があります。
「感性を磨く機会は、自然の中での時間とか、ものすごくとがった人たちとの時間なんじゃないかと思うんです。YouTubeで見るのもいいけど、体を動かして五感で感じないと限界がある。MORIUMIUSのような場所が日本中に100カ所、200カ所あったら、こどもや地域、国が豊かになると思います」
真顔で淡々と語る油井さん。でも、その表情の奥には確かな熱がありました。
本人いわく、「実は上機嫌です」。
土と水が再生する場所 ── 渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOOD
更地に立つ、木の香る建築

油井さんに案内されたのは、防潮堤の向こうに広がる更地の一角に建つ、真新しい木造の建物でした。
2011年、この一帯を約20mの津波が襲いました。かつて商店街があった場所は、今も人が住めない規制がかかっています。
この土地は「雄勝ガーデンパーク」という市の事業として、石巻市と民間が連携して整備を進めているエリアです。津波で人が住めなくなった場所を、農業や体験の場として再生する試み。復興庁も支援しており、先日は副大臣も視察に訪れました。
「人が住めないまでも、農業をする。外から人を呼び寄せる仕組みでやっていく。災害のあった、過疎の町の在り方として、すごくいい取り組みだと思います」
ハンデがあるから、人が集まる

建物の前には、約1ヘクタールのブドウ畑が広がっています。2024年4月に植えられた約1,300本のワイン用ブドウ。ピノ・ノワール、ピノ・グリなど7品種が、まだ細い幹を伸ばしています。
しかし、この畑の土は、農業には極めて向かないものでした。
「復興工事で山土が盛られたんです。山土は、山だから豊かだと思われがちなんですが、無機質で、粘土質で、水はけは最悪です」
普通なら諦めてしまいそうな条件。でも油井さんは、それを逆手に取りました。
「普通の農家さんよりはディスアドバンテージかもしれない。でも、その分、助けてくれる人が集まってくる。一緒に改善をしてゆく、それがむしろ我々には向いている」
この畑を訪れるボランティアの数は年間おおよそ1,000人。1年目はひたすら石を拾い、ソルガムを育てて粉砕し土に混ぜる。カキ殻やホタテ殻の石灰、竹炭を漉き込む。地元の資源を使い、古来からある農法を、現代の仲間たちと再現していったのです。
この過酷な土壌に興味を持ったのは、東大と北大の研究者たちでした。普段は海外の泥炭地を森にする研究をしている先生方が、「国内でこんな粗悪な土があるんだね」と驚きながら土壌の改良や透水性向上、生育改善の実験を始めています。
今では約300人の「農園主」が、この畑を一緒に作り上げています。1口5万円、5年間。毎年ワインが届くだけでなく、土づくり、植樹、栽培、収穫などを共にする「共創」の関係です。

循環する建築

完成間近の建物は、4つのゾーンで構成されています。子どもたちの体験スペースのガーデンキッチン、食品加工のフードラボ、ワイナリー、そしてカフェショップ。


ワイナリーの壁は木造。木に住みつく微生物が、年を重ねるごとに発酵を助けてくれます。塗装には柿渋。かつては日本酒の酒蔵などでもよく使われていた天然塗料です。
カフェショップのカウンターは、地元の林業家が「新月の日」に伐採した杉。木が眠っている状態で切る古くからの方法。この辺りの土の質からか独特の黒っぽい落ち着いた木目。壁の一部には、地元で採れた天然の赤土。驚くほど鮮やかな色が、空間にぬくもりを与えています。




建物の外には、65mのバイオジオフィルター。排水を微生物の力で浄化し、最終的にはメダカが泳げる水質のビオトープへとつながる予定です。トイレはバイオトイレ、冷房は地下室の冷気を循環、給湯は太陽熱と薪ボイラー。自然エネルギーを使って施設を動かす設計です。

3年後のワイン、10年後の自然
カフェショップからは、ブドウ畑が一望できました。まだ細い2歳の木たちが、9月の風に腕を揺らしています。
「基本的に全部花の段階で摘んでしまいます。木を太くしたいんです。ブドウは1年目でも実はなりますが、ならせない。5年目ぐらいで、やっとそれなりの収量が取れるように栽培しています」

3年後、この畑で育ったブドウからワインが生まれる。10年後には、もっと豊かな生態系が育っているかもしれない。
正式オープンは2025年11月15日。地域へのお披露目会は10月19日に予定されています。
渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOOD 施設情報
- 所在地 宮城県石巻市雄勝町雄勝字寺4-40
- オープン予定 2025年11月15日
- 施設構成
- カフェショップ(約20席、テラス席あり)
- ワイナリー・セラー(地下)
- フードラボ(食品加工室)
- ガーデンキッチン(子ども体験スペース)
- 農園主制度 1口5万円(5年間)。毎年ワインが届くほか、畑作業などへの参加が可能。
- 公式サイト https://moriumiusfarm.jp/
森と海が教室になる場所 ── MORIUMIUS
築100年の廃校が、学び舎に生まれ変わった

渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOODを後にし、車で約15分。雄勝半島の先端近くにあるMORIUMIUSへ向かいました。
1923年に建てられた旧桑浜小学校。屋根には東京駅にも使われている、雄勝石のスレートが葺かれています。この黒く美しい石は硯の原料としても知られ、雄勝町は硯の生産量日本一を誇っていました。
木造校舎は2002年に閉校となり、震災を経て、2015年に子どもたちの複合体験施設として生まれ変わりました。
約5,000人のボランティアの手で、泥をかき出し、校舎をジャッキアップして基礎を打ち土台や柱を修復し、2年半かけて再生されたこの場所。今では全国から子どもたちが訪れ、「循環する暮らしの体験」をしています。


自分たちで暮らしをつくる
MORIUMIUSでの滞在プログラムは、週末の1泊2日から、夏休みの6泊7日、さらには1年間の「漁村留学」まで。
ここでは、食事の支度も掃除も、すべて子どもたちの仕事です。朝はニワトリの卵を集めることから始まり、畑で野菜を収穫し、薪をくべて風呂を沸かす。地元の漁師さんと船に乗り、魚介類を水揚げすることもあります。
生活排水はバイオジオフィルターで浄化され、ビオトープを経て水田へ。食べ残しはブタやニワトリの餌になり、堆肥となって畑に還る。子どもたちは、この循環の中で「自らの力で生きている実感」を取り戻していきます。




















漁村留学を選ぶきっかけ(船本さん親子)
今回の取材をアテンドしてくれたGOOTメンバーの船本さん。彼女のお子さんは、昨年の夏にMORIUMIUSの体験プログラムで巨大なヒラメを釣り上げました。それがきっかけで「1年間ここで暮らしたい」と言い出し、今まさに漁村留学の真っ最中です。
「親は漁村留学したらいいなと思ってたんですけど、子どもがそこまで言うとは思わなくて」と船本さんは笑います。体験が1回、2回と重なるうちに、子どもの中で何かが動き出す。MORIUMIUSには、そういう力があるのかもしれません。
スタッフの声(ライスさん)

スタッフのライスさんは、埼玉県川越市の出身。大学で教員を目指していましたが、教育実習を経て「学校の先生じゃないかもしれない」と感じていたとき、MORIUMIUSと出会いました。今年で3年目になります。
「子どもたちと自然の中にいるのが好きだし、お互いに五感を解放させながら暮らしていくのが楽しいんです。1年間いる子もいれば、1週間の短期で来る子もいる。いろんな子たちと、季節の中で関わっていける」
都会育ちの彼女にとって、最初は戸惑いもあったと言います。
「シカが道にいるとか、夜、何もすることないし、みたいな感じだったんですけど」
でも最近は、その暮らしが心地よくなってきたそうです。
「海のそばに住んでいて、部屋から海が見える。朝日が昇ってきて明るいなと思って目覚める。そういう暮らしって、すごくいいなって」

MORIUMIUS 施設情報


- 所在地 宮城県石巻市雄勝町桑浜字桑浜60
- アクセス JR石巻駅から車で約50分
- プログラム
- MEET MORIUMIUS(1泊2日〜2泊3日/週末・連休)
- LIVE IN MORIUMIUS(6泊7日/春・夏休み)
- 漁村留学(1年間/小中学生対象)
- 公式サイト https://moriumius.jp/

