【雄勝町】雄勝ローズファクトリーガーデン|震災後の更地に根づいた「居続ける庭」

雄勝ローズファクトリーガーデン
この記事でわかること
  • 雄勝ローズファクトリーガーデンが、震災後の更地からどう生まれたか
  • 徳水利枝さんが“居続ける”ことで起きた変化(人・ボランティア・町の動き) 
  • 現地でできること(見学・カフェ)と訪問のための施設情報

 渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOODを後にした取材チームが向かった先は、雄勝の中心部に位置する「雄勝ローズファクトリーガーデン」。震災後、なにもなくなった茶色い更地に花を咲かせ続けている場所です。

目次

「居続けること」が動かしたもの ── 徳水利枝さんが選んだ道

出迎えてくれたのは、徳水利枝さん。震災では母親を含む親族を亡くし、自身も全財産を失ったといいます。それでも、この土地に「居続ける」道を選んだ人です。

徳水利枝さん(雄勝花物語代表理事)。取材時の様子
徳水利枝さん(一般社団法人「雄勝花物語」代表理事)
今回のキーパーソン

徳水利枝(とくみず・りえ)さん
一般社団法人「雄勝花物語」代表理事

徳水さんたちは、花や緑を介して人が集い、雄勝と関わり続けるきっかけをつくってきました。年間1,000人を超えるボランティアが訪れ、共に庭を育てる「仲間」になっています。

プロフィール|徳水利枝(とくみず・りえ)さん(一般社団法人「雄勝花物語」代表理事)

徳水さんは雄勝で生まれ、中学校までこの土地で育ちました。

高校は寮に入り、大学は仙台で一人暮らし。その後、石巻で教員になりました。ご主人とは同じ学校の職場で出会い、結婚。約10年後、家族で雄勝へ移住します。

震災前は、母親が住んでいた家の空き部屋を使って学習塾を開いていました。雄勝中学校の子どもたちの勉強を見る、小さな教室。それが徳水さんの、震災前の暮らしでした。

ご主人は、震災当時、雄勝小学校の教員だったそうです。

「11日の日はもう多分主人の方はダメだろうなと思ったんですよ。雄勝から逃げてきた人たちが、子供たちが校庭にいたって言ったので、ああ、じゃあもうダメだろうなって」

しかし、校庭にいた子どもたちに向かって、父兄の方が「上に逃げろ」と。ご主人は子どもたちと一緒に山へ駆け上がり、難を逃れました。

雄勝町との関わり|「2株の花」から始まった被災元地の庭づくり

徳水利枝さん(雄勝花物語代表理事)。取材時の様子

震災直後の写真を見せてもらいました。2011年4月、まだ1ヶ月も経っていない頃。茶色い更地が、山の麓までずっと続いています。

「私が生まれた家がここにあって。その時、母がいたはずなんですけど、母も逃げ切れなくて。母も含めて親戚とか結構、この土地で逃げ切れなかった」

徳水さん自身は、たまたま車で移動中。夫と子ども2人は命を取り留めたものの、全財産を失いました。

瓦礫撤去が終わり、自分の土地に入れるようになったのは2011年6月頃。自衛隊による遺体捜索が完了するまで、立ち入ることができなかったのです。

「何もなくなったところで、何をしよう、何もできないし。母にも何もできなかったので、とりあえず花を植えようかって。2株の花を植えたのが元々の始まりです」

通りがかった千葉大学の学生ボランティアが、一緒に花の種をまいてくれました。少しずつ、少しずつ。それが2011年の活動でした。

転機は2012年。仙台の大手造園会社の社長に「力を貸してもらえませんか」と頼んだところ、現地を見に来てくれたのです。

「その方が、ここの土地を見て、『とてもひどい』っておっしゃって。福島の南相馬とか岩手の陸前高田とか、ずっと沿岸部を支援してきたけれども、ここがひどいって」

津波の被害はどこも同じ。でも、他の場所は高台に仮設住宅があって、人の気配がする。雄勝にはそれがなかった。仮設住宅を建てるような高台が、そもそもなかったのです。

「だから花を植えましょうって言ってくださったんです。自分は造園のプロだから、プロにはプロの支援の仕方があるからって」

そして、こうもおっしゃったそうです。

「被災地だからこの程度でいい、ではダメなんだ。被災地であっても、『これだけのことが』って言えるようなものにしないと、人が集まらないんだよ」

新しい土と堆肥を入れ、ボランティアを募り、本格的な花の植え付けが始まりました。元住民とボランティア、合わせて約100人が集まった日。何もなかった真っ茶色の土地に、1か所だけ花畑が生まれたのです。

雄勝の特色|山の借景と霧、海の恵み(ホヤ・ウニ)

徳水さんに、雄勝のランドマークと呼べるような場所を尋ねてみました。

「私が一番好きなのは、ここから見える山の景色ですね。ここのガーデンの良さって、山があるからだと思います」

震災で雄勝の風景は変わりました。昔よく遊んだ神社から見下ろす景色も、今は防潮堤が連なるばかり。

けれど、山だけは変わらない。

「ちょっと自分本位に言うと山が借景になってる。それはすごく山に失礼な言い方なんですけど、たまたま山があって、そこに囲まれてこの場所があるっていうのが、ここの魅力なんだと思う」

雨が降り始めると、山に霧がかかる。雲が湧き上がり、動いていく。

「その景色は本当にいいです」

雄勝ローズファクトリーガーデン

雄勝のソウルフード

雄勝で一番美味しいものは?

「ホヤとウニかな」

どちらも、鮮度がすべてだと言います。

「ウニとかやっぱりここで取れたものしか私は食べないですね。他のところで食べると、薬のにおいがしてしまうので」

スーパーで売られているウニは、身を固めるためにミョウバン処理されている。だから苦くなり、独特のにおいがつく。

「さっき食べたんですよ。美味しかったです、本当にとろっとろで。ミョウバンでね、固めてないから」

ホヤもまた然り。足が早いから、獲ってすぐでないと美味しくない。剥いてそのまま、あるいはちょっと醤油をつけて。それが一番贅沢な食べ方です。

徳水利枝さんの一日|植物の世話、加工品づくり、そして“おしゃべり”

徳水さんの一日は、朝8時半から9時の間に始まります。

「私個人だと、ほぼ1日ここにいます。今だと、遅い時には18時ぐらいまで」

暗くなったら帰宅。秋冬はもっと早い。自然のリズムに沿った暮らしが、ここにあります。

「私がやるのは植物の世話と、あとは加工品を作ることと、昼間やるのはそんな感じですかね」

高齢のスタッフたちと一緒に苗を育てたり、加工品を作ったり。そして、ガーデンに寄られる方たちとおしゃべりをすること。それが徳水さんの主な仕事です。

地元のスタッフは、徳水さんを含めて5人だけ。60代の徳水さんと、70代が2人、80代が2人。仙台から通ってくるご夫婦が2組いて、日々の管理を支えています。

こんなところがGOOTです|「居続けること」が旅人を“仲間”に変える

雄勝ローズファクトリーガーデン

徳水さんは、自分がやってきたことを振り返って、こう言いました。

「私がやってるのは居続けることだけなんだけど、居続けるとかあり続ける場所があると、何かが動くのかなっていう」

「支援される側では、元気にならない」——徳水さんは早い段階でそのことに気づいていました。

「私たちも被災者なので、支援される側に回ったときに、支援されるっていうのは力が出ない、元気にならないっていうことを身をもって感じたんですね」

震災前の普通の生活では、みんなで助け合って、誰かのために何かをするのは当たり前だった。それが一瞬で「してもらわなきゃいけない立場」になってしまった。

「ここは、やってもらう場所じゃなくて、自分たちでこの土地をケアして、自分たちでこの町を作っていく。それが自分たちの心のケアにつながるっていう事業として取り組んできました」

地元の高齢スタッフたちは、「してもらう」のではなく「自分たちがする」側にいる。

「一緒にやっている地域の高齢のお母さんたちは、行くところがあって、やることがあって幸せだって」

「移住してくる人もね、ポロッといたりして。移住してきた人が誰かとつながるときに、ここの場所で会った人と一緒に何かやるっていうことが起こってる。やっぱり場所があるっていうことに意味があるかな」

実際、ガーデンから歩いて5分のところに、みちのく潮風トレイルを歩く移住者の女性が民泊を始めました。彼女が不在のとき、外国人ハイカーたちは「ガーデンで待ってて」と言われてやってくる。徳水さんは片言の英語でニコニコ迎える。

そんな小さなつながりが、この場所から生まれています。

プロの技とボランティアの汗が紡いだ庭 ── 雄勝ローズファクトリーガーデン

鮮やかな緑と花に彩られた、まるで「秘密の花園」のような庭園。初めて訪れた人は、ここが被災地の更地だったとは信じられないかもしれません。

石積みの物語|野面積みの石垣が“土地の石”でできている

雄勝ローズファクトリーガーデン

ガーデンを囲む見事な石垣は、自然石を組み合わせる「野面積み(のづらづみ)」と呼ばれる積み方。安土城などにも使われたような、古い技法だそうです。

石は、高台の住宅地や学校を建設するために山を切り崩したときの残土から取り出したもの。地元の石が、この土地を守っています。

手作りの移転|2017年、わずか50メートル先へ(緑の環境プラン大賞)

2017年、国道建設のため移転を余儀なくされました。距離にして、わずか50メートル。

新しいガーデンの計画は、2017年の「緑の環境プラン大賞」(シンボル・ガーデン部門)で「緑化大賞」に選ばれました。徳水さんは、このときの助成金を移転費用に充てたと話します。

移転作業は、ほぼ手作業。毎日のように40〜50人のボランティアが訪れ、植物を掘り起こし、レンガを一つひとつ剥いで洗い、新しい場所に運びました。

絶対に外せない「これ!」|見学のあとはコリンクcafeでひと休み(ハーブティー/自家製シロップソーダ)

摘みたてフレッシュハーブティー

オーダーが入ってから、庭に植えられた季節のハーブをその場で摘んで淹れてくれます。

「ハーブは全部植えてあって、それを摘んできて入れるっていう」

徳水利枝さん(雄勝花物語代表理事)

自家製シロップソーダ

敷地内に実る果実をシロップにし、炭酸で割った爽やかな一杯。

「その辺にスモモとブラックベリーと。あとジューンベリーはその辺にあって」

雄勝ローズファクトリーガーデン(コリンクcafeのオリジナルソーダ)

樹齢100年のシンボルオリーブ

雄勝ローズファクトリーガーデン(樹齢100年のオリーブ)
ガーデンのシンボルオリーブ|圧倒的な存在感

ガーデンの中央に立つ、圧倒的な存在感のオリーブの巨木。徳水さんによれば、スペインから輸入された木が寄贈されたのだそうです。

「オリーブの木って樹齢100年だと100万円、200年で200万円、300年で300万円なんですって」

仙台のガーデンフェスタで展示された3本のうち、300万円と200万円は買い手がついた。残った100万円の木を、前出の造園会社社長が「持って帰る送料がかかるんだから、寄付しよう」と言ってくれたのです。

来たときは枝を全部切り落とされ、「幹だけが見えるくらいの感じだった」という巨木。今では見事な枝葉を広げ、力強い生命力を感じさせます。オリーブにバラ、そして冬には雪をかぶったオリーブという、ここでしか見られない光景も。

雄勝ローズファクトリーガーデン(樹齢100年のオリーブ)

予約完売のオリーブオイル

徳水さんの説明では、ガーデンの奥には約140本のオリーブ畑があり、収穫は10月初旬。摘んだ瞬間から酸化が始まるため、朝6時ごろから収穫を始め、その日のうちに車で15分ほどの搾油所へ運ぶといいます。

「うちはオリーブに適さない土地なので、どんどん新しい土を入れたりとか、かなり手がかかるんですけど、そこもボランティアの方たちがやってくださってるんですね。ご自分で育てたオリーブからできたオリーブオイルは自分で食べたい。なので、ボランティアに来てくださった時に『出来上がったら買います』って予約してくださる」

「出来上がった時点でほぼほぼ完売」と徳水さんは話します。

石巻オリーブ、ここから始まった

きっかけは、雄勝出身で石巻グランドホテルの常務を務める女性が、「傷ついたふるさとに復興の象徴としてオリーブを植えたい」と申し出たことでした。

聖書のノアの箱舟の話。洪水が引いたかどうか確かめるために飛ばした鳩が、オリーブの枝をくわえて戻ってきた——。震災の数日前に見た映画で、そのシーンが心に残っていたそうです。

「どこかやってくれるところがないか」と探していたところ、白羽の矢が立ったのがローズファクトリーガーデンでした。

「寒い土地ですから、育つかどうかってやってみたら、花をつけたんです」

それを見た石巻市が動きました。ここで育つと分かったなら、市の事業としてオリーブ栽培を広げよう——。

今では大川小学校の奥や北上川の対岸にも畑が広がり、1,000本近いオリーブが育っています。石巻のオリーブ事業は、この庭から始まりました。

徳水さんたちが「居続けた」実績は、被災元地の利活用ルールそのものを動かしました。復興庁のハンズオン支援を受け、石巻市・宮城県との協議を重ねる中で、住宅が建てられなくなった土地をどう使うかのルールが住民主導で形になっていったのです。

現在、雄勝ガーデンパーク推進協議会には約30の団体が参加。渚の交番 MORIUMIUS MARINE & FOODのブドウ畑も、このルールのもとで運営されています。

雄勝ローズファクトリーガーデン(オリーブ)

雄勝ローズファクトリーガーデン 施設情報

施設情報
  • 所在地 宮城県石巻市雄勝町雄勝字味噌作34-2
  • 開園時間 10:00〜16:00
  • 休園日 毎週火曜日、年末年始
  • 入園料 無料
  • 駐車場 あり
  • アクセス 公式サイトの「アクセス/お問合わせ」を参照
  • 公式サイト https://ogatsu-flowerstory.com/
雄勝ローズファクトリーガーデン

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